はじめに
「ある」という言葉は、私たちの日常に深く根付いています。目の前にコップが置かれていれば、「コップがある」と言いますし、空に月が輝いていれば、「月がある」と言います。しかし、「ある」という概念は本当に絶対的なものでしょうか?
さらに、物理学の視点から「ある」を考えたとき、「位置エネルギー」は本当に「ある」と言えるのでしょうか? 今回は、「ある」という概念を掘り下げつつ、位置エネルギーが実在するのかを考えてみます。

「ある」とはどういうことか?
何かが「ある」と言うとき、私たちは通常、それを知覚できるかどうかを基準にしています。例えば、目で見たり、手で触れたりできるものは「ある」と認識されます。
では、逆にどんな方法を使っても知覚も推論もできないものは「ある」と言えるのでしょうか? 私の答えは「ノー」です。例えば、もし私たちの世界とは完全に独立した別の世界があったとしても、それを一切観測する手段がなければ、それは「ない」のと同じです。もし「ある」といっていいのであれば、無限に異なる荒唐無稽な想像の世界について考えなければならなくなってしまいます。
こう考えると、「ある」という概念には、単に物理的に存在することだけではなく、何らかの形で知覚または認識できることが重要な要素となることがわかります。「知覚」は完全でもないし、人間が永遠に知ることのない、「真の」姿を反映したものではないかもしれないですが、それを通して存在を確かめるほか内のです。
「ある」=「知覚」+「認識」
「ある」という概念をもう少し整理すると、以下のように考えることができます。
- 知覚できるものは「ある」
目で見たり、手で触れたりできるものは、誰にとっても「ある」と言えます。 - 認識できるものも「ある」
例えば、ダークマター [🔗] は目に見えませんが、銀河の動きを観測することでその存在を推測できます。私たちの五感では知覚できませんが、論理的に認識できるため「ある」と考えられます。
ダークマターの例が示すように、物理学においては、直接観測できなくても、論理的にその存在を示せるものは「ある」と認識されるのです。この視点で、位置エネルギーの存在を考えてみましょう。
位置エネルギーは「ある」のか?
エネルギーは目に見えません。しかし、私たちはそれが確かに存在することを、日常の経験から理解しています。例えば、ガソリンが燃えると車が動き、熱が発生します。これらの現象はすべて、「エネルギーが形を変えながら保存されている」ことを示しています。
位置エネルギーも同様です。 例えば、月が地球の上空にあるときと、地球の表面にそっと置かれたときでは、月と地球の系全体のエネルギーが異なります。この違いは、アインシュタインの有名な式
E = mc²
によって、位置エネルギーの変化が質量の変化として観測できることを意味します。実際、化学反応でも、分子の結合による位置エネルギーの変化が、微小な質量の違いとして現れます。例えば、炭素と酸素が結びついて二酸化炭素になると、C + O₂ よりも CO₂ の方がほんのわずかに軽くなります。これは、電気的な位置エネルギーが変化したことによるものです。
さらに、位置エネルギーは「時間の流れ」にも影響を与えることが分かっています。一般相対性理論によると、時間の進み方は単に重力の強さではなく、位置エネルギーの大きさによって決まります。例えば、地球の表面と人工衛星では、位置エネルギーの違いによって時間の流れが変化します。これはGPSの精度を補正する上で重要な要素となっており、位置エネルギーの影響は現実の技術に直結しているのです。
* GPSの簡単な説明:JAXA|今いる場所・時間がわかる測位とは?
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位置エネルギーは「ある」と言えるか?
以上の議論から、位置エネルギーは
- 知覚:測定可能である(重さや時間の流れに影響を与える)
- 認識:エネルギーの保存則によって確かに存在すると考えられる
という点で、コップが目の前に「ある」と言えるのと同じくらい、確かに「ある」と言えるでしょう。
目には見えなくても、物理的な影響を及ぼし、観測や計算によって確認できる。こうした存在の捉え方が、現代物理学の醍醐味とも言えます。
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